コドモのコドモ

監督:萩生田宏治
原作:さそうあきら 脚本:宮下和雅子
音楽:トクマルシューゴ
出演:甘利はるな、麻生久美子、谷村美月
五つ星評価:★★★★
「漫画アクション」で2004年5月20日号より連載されたさそうあきら原作の同名コミックの映画化。秋田県能代市でロケが行われたため、地元では反発の声や、「検閲」が行われるということで、どんだけ民度が低いんだよ言わざる負えない騒動が巻き起こったことでも聞いた覚えがあるだろう。
小学5年生の11歳持田春菜(甘利はるな)は、仲の良いヒロユキ(川村悠椰)と、ある時"くっつけっこ"という遊びをしてしまった。担任の八木先生(麻生久美子)の性教育授業を受けたことで、春菜はそれが性行為であり、自分が妊娠しているのでは?と思い始める。しかし、周りの大人たちは気づかず、ついに子供たちだけ秘密として出産を決意する。
低年齢の出産を描いたものといえば、テレビドラマにあった「14才の母」が記憶に新しい。あれでさえ、相当な反発があったろうに、今回は11歳。まだ小学生という、世の中に無い話ではないが、フィクションの上に成り立っているのは用意に判断できる(ブタマンの"ありえねー"がいい現れであろう
見てもいないのに、公開前から中止を求める執拗なバッシングやらが、ネット上ではあったようだが、なぜそこまで固執すべき謂れがあるのか、甚だ可笑しいとしか言いようが無い。
もちろん、2007年に公開された「JUNO」で16歳の少女が妊娠する物語を描き、それが社会現象にまでなり、触発された高校生が集団妊娠するなんて話もあった。
親心として心配も分からなくも無いが、そういったことよりもコレを通して、考えるべきものがあることを分かるべきだ。
原作では、子供の妊娠、出産をテーマとして描いているが、その他にも現代の教育現場の問題も少なからず描いてある。本作は「妊娠、出産」にポイントを絞っているため、教育現場の疲弊、家庭の問題、大人達の思惑、麻生久美子演じる八木先生のジェンダーフリーな姿が薄らいで見えるかも知れない。しかし、子供から見た"大人"、つまり大人は自分達を理解はしてくれない者、と徹底的に大人を相容れない者として描いていることが評価出来る。
最初は子供たちのためと思って行動している八木先生も、結局のところ大人目線であり、子供たちには子供たちなりの理由があって行動している。そういった齟齬によって起こっていく学級崩壊など、見ていて同情したくはなるが、上手く出来ている。麻生久美子を選んだのは正解。
子供たちの描写もちょっと大人ぶりたい年頃であるが、世間知らずで、他愛も無いことが面白い。心は純なんだけど、それが残忍でもある。そんな原作の子供たちもちゃんと演じられている。
人によっては、ほのぼのとしてあっけらかんとした雰囲気で、妊娠出産を描いていることに違和感を憶える人がいるかもしれない。事実、試写会でPTAから「妊娠出産には心が伴うのに、どうして映画を明るく描いたのか?」という質問があったようだが、監督は「今回は自分が感動した部分を忠実に再現した。『子供が出来てしまった』というような感情的なことよりも、自然な本能的な部分で、子供を産むことを決めたのではないかと考えています」と語っている。
命を愛おしく思い、それを助けてくれる友達。そんな「子供達の世界」の素晴らしさを、そのまま描いている。大人たちには頼らず、自分達のやり方を示した。子供本来の真摯な姿を認識させる形となっている。
と同時に、無知なる小学生が妊娠することの怖さを感じることにもなる。八木先生が"正しい性"を教えることを強調するが、そんなことが"生命賛美"としてちゃんと受け止められるはずもない。子供の頃、性は"エロ"であり、恥ずかしいもの、後ろめたいものである。大人たちがタブー視するのであるから尚更である。性の純粋さを教えるのなら、その性の責任やリスキーなことを同時に教えることが、求められていることであろう。
ヒロユキを"あんな"感じにしたり、運動会を学芸会に変えたり、ラストをああするなど、いろいろ変更点はあるが文句はない。
が、もう少し妊娠、出産の描写に力を入れるべきであったとは思う。
私的感想だが、中学時代近所に住む一つ下の女の子が、妊娠しちょっと騒動になったことを思い出したが、実際太っただけとして、産む直前まで気づかれなかった。周りの大人たちが気づかないのも妙に納得してしまったところもある。
子供と一緒に見ることを推奨はしないが、大人達は本作を見て、少なからず感じるものがあるはずだ。それを考えてもらいたい。